現地の声に耳をすませば見えてくる、もうひとつの台湾の記憶
この記事でわかること
- 1895〜1945年の日本統治下で、台湾の人々はどんな生活をしていたのか?
- 教育・食生活・言葉・暮らしに起きた変化
- 現代の台湾人に今も残る“日本時代の記憶”とは
1. 日本時代の台湾っていつのこと?
1895年、日清戦争の結果、台湾は清朝から日本に割譲され、日本の「植民地」として50年間にわたり統治されました。
当時の台湾には、清朝時代からの漢族文化、原住民文化、そして新たに入ってきた日本文化が混ざり合う、独特な社会が広がっていきます。
2. 学校では日本語、家では台語
当時、台湾の公立学校ではすべて日本語教育が導入され、先生も日本人。子どもたちは「おはようございます」「さようなら」と挨拶し、修身や唱歌を学びました。
でも、家に帰れば両親は台語(台湾語)や客家語。つまり、家庭と言語の断絶が当たり前に起きていたのです。
🗣️「学校では『日本語以外話すな』と叱られ、家に帰ればおばあちゃんと会話ができなかった」
(高雄出身、1920年代生まれの台湾人男性の証言)
3. 街並みが変わった:道路・上下水道・鉄道の整備
日本は台湾を「東洋の模範植民地」にしようと、インフラ整備に力を入れました。
- 鉄道:台北〜高雄間に縦断鉄道(今も使われている路線)
- 上下水道:衛生環境が改善され、コレラやマラリアの死者が激減
- 都市計画:台北、新竹、台南には碁盤の目のような整然とした道路ができ、役所や学校も建てられました
📍今でも日本時代の駅舎や学校、病院の建物が現役で使われている場所があります(例:嘉義駅、台南の旧台南州庁舎など)
4. 生活の中に日本文化が溶け込んでいた
- 食文化:味噌汁、納豆、カレーライスが登場し、台湾風にアレンジされて家庭に定着。
- 服装:学生は「詰襟」、大人は「和服」や洋装に。
- 風呂・衛生習慣:入浴文化が広まり、「銭湯」が普及(高雄や台中など)。
- 暦と名前:和暦が使われ、「○○子」「○○郎」といった日本風の名前を持つ台湾人も登場。
5. 暗い時代もあった:皇民化運動と戦争の影
1937年以降、日本が戦争に突入すると、台湾でも次第に軍国主義が強まりました。
- 皇民化運動:日本語の徹底、台湾人の改姓名(例:林阿水 → 林正男)
- 神社参拝の義務化:毎月神社へ行くことが課せられた
- 徴兵・志願兵制度:終戦近くには台湾人も戦地へ送られるように
🗣️「学校で万歳三唱し、毎朝皇居の方角に向かって礼をしていた。だけど、心では“なぜ私たちが…”と感じていた人も多かった」
(屏東出身、1930年代生まれの台湾人女性)
6. 今の台湾に残る“日本時代の記憶”
驚くことに、台湾では今もなお日本時代に好意的な感情を持つ人が多いです。
特に高齢者は日本語が話せる人も多く、「昔の先生が優しかった」「日本人は清潔だった」と語る方もいます。
- 昭和のレトロ風建築や銭湯文化を懐かしむ若者も登場
- 地名や駅名に日本の名残が多数(例:淡水=タンスイ、基隆=キールン)
- 観光地として、日本統治時代の施設が“レトロ旅”スポットに
まとめ:台湾のやさしさには、歴史の記憶が息づいている
台湾を旅して「日本語が通じる」「やけに親切にしてもらえる」と感じたことはありませんか?
それは単なる親日感情ではなく、歴史の中で苦楽を共にした“日本時代”という記憶の層が、今も台湾人の心に残っているからです。
📌 問いかけ
次に台湾を訪れるとき、ふと古い建物や地元のお年寄りに目を向けてみてください。
そこに、もう一つの台湾が静かに息づいています。