こんにちは、「台感(たいかん)」編集部です。
台湾を旅していて、「あれ、このおばあちゃん日本語しゃべってる!」なんて経験はありませんか?
実はそれ、偶然じゃありません。
今回は、台湾で今も日本語を話す高齢者がいる理由を、歴史の背景とともにわかりやすく紹介します。

📮 実際にあったお話:手紙のやりとりは今も日本語で
10年ほど前、台北近郊の公園で出会った、当時85歳くらいのおじいちゃんがこんな話をしてくれました。
「今でも昔の同級生と、日本語で手紙を送り合っているんですよ」
「文字も、言葉も、日本時代に学んだままの日本語でね」
とても滑らかで、丁寧な日本語を話されていて、正直、自分よりもきれいな日本語を使っておられることに驚きました。
また、かつて台湾の元総統・李登輝(りとうき)氏の講演を聞いた際も、一言一句が流れるような日本語で、知性と品格に満ちていたのをよく覚えています。
あれから10年――
日本語世代の方と直接出会える機会は、年々少なくなってきているのを肌で感じています。
とても寂しい気持ちにもなります。
なぜ台湾のお年寄りは日本語を話せるのか?
背景にあるのは、1895年から1945年までの「日本統治時代」の歴史です。
当時の台湾では、学校教育がすべて日本語で行われており、
- 授業は日本語
- 会話も日本語
- 台湾語や中国語は禁止された時期も
そのため、当時小学校に通っていた世代の人たちは、日本語を“第一言語のように”身につけていたのです。

🕰 台湾の歴史をざっくりおさらい
年代 | 出来事 |
---|---|
1895年 | 日清戦争に勝利した日本が台湾を統治(下関条約) |
1945年 | 第二次世界大戦の終戦後、中華民国に返還 |
その後 | 国共内戦の影響で、中華民国政府が台湾に移転(1949年) |
この50年間の日本統治は、台湾に大きな影響を残しました。
🏫 日本統治時代の功と罪
✅ 日本が行ったインフラ整備・教育の普及
- 鉄道や道路、病院、水道の整備
- 義務教育の導入(日本語による)
- 戸籍や土地制度の整備
- 衛生や予防医学の普及
❌ 一方で課題も
- 皇民化政策(日本への同化)
- 母語禁止、名前の日本化の強要
- 差別的な行政や選挙制度
功罪両面がありましたが、当時の教育が今なお台湾のお年寄りの中に“生きている”日本語を育てたのは事実です。
🎤 今の台湾の若者はどう思ってる?
現代の若い台湾人は日本語を話しませんが、日本に対して好意的な人は非常に多いです。
- 日本旅行やアニメが大人気
- 日本語を学ぶ大学生も増加中
- 歴史の話も、感情的でなく“事実として受け止める”若者が多い
これは、おじいちゃん・おばあちゃん世代の記憶と経験が、次世代に穏やかに受け継がれている証拠かもしれません。
📝 まとめ|“日本語を話す台湾人”という歴史の生き証人
昔の日本語世代に出会うたび、私は「台湾ってやっぱり特別な国だな」と感じます。
言葉の壁を超えて通じ合えるあたたかさは、単なる観光では味わえない体験です。
そして、そんな出会いができる時間は、もうそれほど長くありません。
だからこそ、「台感」では、こうした声や背景を丁寧に残していきたいと思っています。
追記
犬が去り、豚が来た──国民党政権への複雑な思い
1945年、日本が戦争に敗れ、50年にわたる統治が終わると、新たに中国大陸から「国民党政府」が台湾にやってきました。
当時、台湾の多くの人々は「これで祖国(中華民国)に戻れる」と歓迎ムードでした。
しかし――その期待は、ほどなくして大きく裏切られることになります。
「犬が去り、豚が来た」と言われた理由
「狗去豬來(犬が去り、豚が来た)」
これは当時の台湾人が口にした言葉で、
「厳しくも秩序のあった日本(犬)が去り、腐敗と混乱を持ち込んだ国民党(豚)が来た」という、強い失望と皮肉を表しています。
- 官僚の腐敗、賄賂、物資の略奪
- 経済の混乱、ハイパーインフレ
- 中国本土出身者による差別的な支配
- 台湾人の不満が爆発した「二二八事件(1947年)」
これらの出来事によって、台湾人の間には「解放された」という感覚よりも、「支配者が入れ替わっただけ」という認識が広がっていきました。
🧊 歴史は白黒では語れない
もちろん、これはすべての国民党関係者や中国本土出身者が悪だったという話ではありません。
ただ、“理想と現実のギャップ”が台湾社会に深い影を落としたのは確かです。
この時代を経験した台湾の人々の声は、今も慎重に、静かに語り継がれています。