〜台湾の近代史を変えた悲劇と、その背景〜
🕰 二二八事件とは?
二二八事件(ににっぱちじけん)は、1947年2月28日を発端として台湾全土で起きた大規模な民衆蜂起と、それに対する国民党政府の武力弾圧を指します。
この出来事は数万人規模の死者・行方不明者を出し、台湾社会に深い傷を残しました。

📜 発端は小さな出来事から
1947年2月27日、台北でたばこの密売を取り締まっていた国民党の専売局員が、女性の密売人を暴行したことが事件のきっかけです。
この様子を見ていた市民が抗議すると、専売局員は銃を発砲し、一般市民1人が死亡しました。
翌28日、台北市民は抗議デモを行い、これが瞬く間に台湾全土へと広がっていきます。
🌏 背景にあった不満と対立
この事件の背景には、戦後の台湾社会の不満と対立がありました。
- 国民党政府への不信感
- 1945年、日本の敗戦により台湾は中華民国(国民党政府)の統治下に。
- しかし、新たに赴任した官僚や軍人の中には腐敗・汚職が横行。
- 物価の急騰、物資不足、治安悪化も深刻化。
- 外省人(中国本土から来た人)と本省人(台湾生まれ)の対立
- 日本統治時代に教育を受けた本省人は、日本語や近代的制度に慣れていた。
- 一方、大陸から来た国民党官僚との間に文化・言語の溝があり、不信感が増していた。
💥 武力弾圧と「白色テロ」
抗議デモは「政府改革」を求める声に発展しましたが、国民党政府は軍隊を派遣して武力鎮圧。
- 数千〜数万人ともいわれる市民が殺害・逮捕されました。
- 事件後も長期にわたり「白色テロ」と呼ばれる政治的弾圧が続き、反政府的と見なされた人々が投獄・処刑されました。

日本との関係・影響
- 日本統治時代の教育が反映
- 当時の台湾人の多くは、日本統治下で教育を受けていました。
(日本語教育、インフラ、近代的制度) - そのため、国民党政権の統治方法や汚職体質に違和感・反発を抱く人が多かった。
- 当時の台湾人の多くは、日本統治下で教育を受けていました。
- 「犬が去り、豚が来た」という言葉
- 日本時代を犬、国民党政権を豚に例えた皮肉。
- 「日本の統治も厳しかったが秩序はあった。今は腐敗と混乱だけがある」という不満を表す。
- 日本時代の組織力・自治意識
- 日本時代に自治会や団体活動を経験していた台湾人が、事件後の抗議運動を組織する原動力になったと言われています。
🌈 現代の台湾における二二八事件
- 1980年代末〜90年代、民主化の進展とともに事件の再評価が始まりました。
- 1995年、中華民国政府(李登輝総統)は公式に謝罪し、2月28日を「平和記念日」と制定。
- 各地に「二二八紀念館」や慰霊碑が建てられ、学校教育でも学ぶように。
📌 まとめ
二二八事件は、台湾にとって単なる歴史的事件ではなく、民主化の原点であり、台湾アイデンティティを形成する大きな要素です。
日本時代の経験も、その背景と台湾人の行動様式に少なからず影響を与えていました。
歴史を知ることは、現在の台湾を理解する第一歩。
旅行や生活の中で二二八事件に触れる機会があれば、その奥にある背景にも目を向けてみてください。